根底にドライブするもの

先日ある友人がFacebookでシェアしてくれたスザンヌ・シマードさんのTED映像。



森の地下には菌根のネットワークが張り巡らされ、木々を繋ぎ、森全体が一つの身体であるような、自律再生のシステムが編まれているのだという。

なんて、なんて美しいんだろう!

そういえば、熊楠には菌の研究の一連があった。

教えてくれた友人に、御礼と感嘆を伝えると

M…さんに、この世界観を絵に描いてほしい、と。

この言葉に私はとても動かされた。


森のシステムの世界観を絵に描く

なんて素晴らしい!

でも…

ここには人間がいない。

この美しい繋がりの中に、いまの私たちはいない。

わたしはそれを悲しんでいる。


そのときいままでの経験が一気に繋がった。

これだったのか!



美しい世界のなかに

その一部として、美しい繋がりをもって人間が布置された世界

そんな世界の全体を見てみたい

その世界観を描きたい


あーこれこそが、
根底で深く私をドライブするものだったんだ

いつか見たい
いつか描きたい
その場所に行きたい、と。

いまは未だ描けない。

わたしの内側と外側はまだまだ分離が大きい。

自然と人間が統合された世界を生きてはいないから。

でもいつか。

私はこれをする人だとわかってしまったのだから。

ただ淡々とやっていく。

雪雲


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雪にはならなかった。
でも雪雲の気配は濃厚だ。
その重さと沈みこむ。


わたしは、痛み、を媒介としてしか、世界と繋がれないのだろうか。

じぶんの歓びを大事にすると、どんどん世界から切り離されてしまう。


どうしてなのだろう?


正直言って、歓びを循環させるって、全然イメージできない。

わたしの歓びが、誰かを幸せにする、とは到底思えない。

わたしが大好きな人が、わたしが関わることで、幸せが増えるとは思えない。

わたしが大好きな人たちは、わたしとは関係のない、縁のない世界で生きている。

切り離されていく。
ますます。

苦しくなって、世界に繋がろうと手を伸ばす。

痛みや傷つきから手繰り寄せると

こんなわたしでも、すこしだけ、誰かを幸せにできる。

その小さな幸せのなかでしっかり生きてくしかないんだよ。

でも…つまらない。


雪雲のなかで、粒子が弾ける。


あーーでも今は

誰かやじぶんを「傷ついた人」とは見ていない。

今はそれはないんだ。
すっぱりと。




痛みだけ、の人も
歓びだけ、の人も、いない。

どちらも在る。

痛みは転じて歓びとなり
歓び転じて痛みとなる


けれどもし

どの瞬間もどちらも在るなら

つまり
どの瞬間もすべてが在るなら

と想像してみて


現実はそうなのかもしれない、と思う。


世界はずっと、そのようにしか
存在していないのかもしれなかった。

船は出た

自分としては終わりにしたつもりはなく以前のように続いているつもりなのに、ある時を境に潮目が変わってしまうことがある。


手を伸ばしても岸にはもう届かない。

船はもう出てしまっていたと知る。

私はもう、違う船で航行始めたのだ。

ある朝に



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去年の11月だったか、12月だったか。

ある朝、起きるなり大泣きした。
声を上げて泣いた。 


自分の全身全霊を捧げることのできる仕事がしたい。 

ずっとそう思ってきた。
探していた。


突然に。
急速に一点に収束して理解した。

それがなんであるか。
そして
もうそれは望むべくないことに。 


子を産み育てたかった。 

わたしの子を産み育てたかった。 

全身全霊を注いで。

どうしようもなく、女なのだ。
産む生き物なのだ、と。


悲しみは、深かった。


気づかないフリをしてきた。
そんなもの、ないふうを装ってきた。
傷ついてなどいないという振る舞い。


だから二重に傷ついた。


声をあげて泣いた。
存分に泣いた。

そして、終わった。


同時に了解した。


地球環境破壊への危機感とか
セブン・ジェネレーションとか

全然肚落ちなんて、してなかった

個の寿命を超えた、生命の継続への願いに、なんのリアリティも、なかった

ってことに。


いま初めて、その入り口に立てたことに。

いのちはただ、続いていこうと意志する。

ふたつの孤独


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私のいのちが果てるときには、土に還りたい。

土葬であれば直線的に土に還っていける。大きな生命の循環という還る場所。土葬社会とは私にとってその巡りが物理的に約束された社会であり、なんとも心の安らぎを感じる。

魂の永続や来世は、求めていない。

しかし、日本で死ぬ限り、これは望めないことだ。

切り離されている。
哀しみは深い。


死ぬ最期の日には、森でひとりで過ごしたい。

そのときになって誰かに会いに行ったり、なにかを伝えたいとは思わない。それでは遅い。

森のなかでほかの生命の鼓動を感じながら、肉体の最期の時間を味わいたい。

しかし、これも日本では叶わないだろう。やってできないことはないが、私のいのちが果てた後発見されたなら、不審死体であり、つまり通常ではあってはならない異常事態だ。


体力が残されておらず森に向かえないときには、住まいでひとりで最期のときを迎えたい。

しかし、これもまた「孤独死」として歓迎されないだろう。

それどころか、こうした望みを口にするのさえ憚られる。
社会が大切にするなにかを否定することになるのだろう。


誰かに看取られながら死に旅立つことを多くの人は望むだろう。それが叶わないことは苦しみであり悲しみだ。最期まで寄り添おうと、それを実現しようとする営みは尊い。そう思う。


けれど一方で、誰にも看取られないことは、不幸だと決まっているのだろうか。

私は、このわかられなさ、表現する余地のなさに、孤独を感じている

遠心分離とビックウエイブ

あれは大学3年の2月頃だったか。

朝日新聞社の社員登用試験の「模擬試験」なるものを受けた。

そのときの小論文テーマは確かこんなふうだった。

「なぜバブル経済が起こり、なぜはじけたのか、説明せよ」

今にして思えば、あの頃はまだメインストリームのメディアを目指していたのだよ。

もっとも、大雑把に射程角度を決め、そこから行動せずとも視認できるランドマークに向けて歩き出したに過ぎなかったのだろう。

結局縁あって、本郷村(都内文京区本郷の地番には当時小さな出版社が多く、自嘲とある種の誇りを込めてこう呼んでいた)に就職した。


そう。就活を始める直前にバブルははじけた。

けれど、地方の学生だった私には、“女子大生”のカテゴリーとは無縁。

バブルもリーマンも現役世代だが、実感は極めて薄い。

インパクトが大きいのは、直前のビックウエイブに乗っていた人たち、もしくは乗ろうとしていた人たちなのかもしれない。


とはいうものの、2008年頃は一つの分水嶺で、後戻りできないプロセスが現実社会の表層部でも露になってきたように感じる。

1970年生まれの私からはずっと、社会全体が大きな遠心分離器のようだと感じていた。その原則に明らかな亀裂が入った。

高速で回転するほど、同質化が精緻に進む。

この遠心分離器を機能させることが、管理者の重要ミッションであったはずだ。

亀裂が明らかとはいえ、危機には頼りたくなる見慣れたシステムだ。


だから

密閉度を下げる=外のシステムに開かれていること

スピードを落とす=意識的にゆっくり進むこと

なのだと思う。


あっそれと、昨晩の夢で、
不在を孕んだまま動くを体感としてすごく感じて、そう、この感じだよ、と思ったんだけど、一体何のこと?状態で、まだどう現実に活かされるは不明だけど、残しておこう。