遠心分離とビックウエイブ

あれは大学3年の2月頃だったか。

朝日新聞社の社員登用試験の「模擬試験」なるものを受けた。

そのときの小論文テーマは確かこんなふうだった。

「なぜバブル経済が起こり、なぜはじけたのか、説明せよ」

今にして思えば、あの頃はまだメインストリームのメディアを目指していたのだよ。

もっとも、大雑把に射程角度を決め、そこから行動せずとも視認できるランドマークに向けて歩き出したに過ぎなかったのだろう。

結局縁あって、本郷村(都内文京区本郷の地番には当時小さな出版社が多く、自嘲とある種の誇りを込めてこう呼んでいた)に就職した。


そう。就活を始める直前にバブルははじけた。

けれど、地方の学生だった私には、“女子大生”のカテゴリーとは無縁。

バブルもリーマンも現役世代だが、実感は極めて薄い。

インパクトが大きいのは、直前のビックウエイブに乗っていた人たち、もしくは乗ろうとしていた人たちなのかもしれない。


とはいうものの、2008年頃は一つの分水嶺で、後戻りできないプロセスが現実社会の表層部でも露になってきたように感じる。

1970年生まれの私からはずっと、社会全体が大きな遠心分離器のようだと感じていた。その原則に明らかな亀裂が入った。

高速で回転するほど、同質化が精緻に進む。

この遠心分離器を機能させることが、管理者の重要ミッションであったはずだ。

亀裂が明らかとはいえ、危機には頼りたくなる見慣れたシステムだ。


だから

密閉度を下げる=外のシステムに開かれていること

スピードを落とす=意識的にゆっくり進むこと

なのだと思う。


あっそれと、昨晩の夢で、
不在を孕んだまま動くを体感としてすごく感じて、そう、この感じだよ、と思ったんだけど、一体何のこと?状態で、まだどう現実に活かされるは不明だけど、残しておこう。