いのちを養う食べ物


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りんご。

私にとっては、まさにいのちを養う食べ物だ。

以前食事をすると、激しい腹痛がする時期があった。それ以外はどこもなんともないので、普通に仕事もしていた。

でもとにかく怖くて食べられない。

そんなとき、唯一口にできたのが、りんごと味噌汁。味噌汁といっても具はなく味噌を溶かしただけ。

何日もこれだけを戴く。

りんごのお蔭で長らえた。

写真は、友人に教えてくれた有機野菜を商う矜持ある八百屋さんで買い求めたもの。

今日もりんごがなんとも美味しい。

レモンジンジャーな夜に



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お茶もチョコも。
レモンジンジャー、好きらしい。


すべての生命のなかで、なぜ私たち人間だけがこんなに愚かなのだろう。

生態系の一員であること。
大きな生命の営みの中でしか存在しえないこと。

なぜ人間だけが、いとも簡単に忘れ、切り離され、踏みにじることができるのだろう。


「暴走する不安、象徴的思考」

「分離と表象」

掘り下げたいテーマだなあ。

見えてない先に予感されてるものと繋がってる気がするんだよ。

自分がやりたいことをまだ的確に表現する言葉を持たないが、“アートセラピー”を深めたい動機はこの辺りにある。

生命として生きること。


まだ入り口。ここは堪えてじっくりいきたい。

エドゥアルド・コーン『森は考える』を読みながら、つらつらとおもうこと。



森は考える――人間的なるものを超えた人類学

森は考える――人間的なるものを超えた人類学

  • 作者: エドゥアルド・コーン,奥野克巳,近藤宏,近藤祉秋,二文字屋脩
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2016/01/07
  • メディア: 単行本

未知を生きる自由


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明日があるなんて、思えなかった。

長い間、そうだった。
10代の後半から40歳を越えて数年が過ぎるまで。

今日いちにちという日で
ぎりぎり精一杯だった。

明日があるらしい。

そう思えるようにはなった。

けれど…
ひと月先とか、いち年先に、じぶんが生きている姿はイメージできない。リアリティがまるでない。

希望とか、絶望の話じゃないんだ。 

いくつかきっかけらしきものはあるにはあるんだけどね

リアリティのなさは相変わらずなのだけど、今日思ったんだ。

いつまで生きるかはわからない。
だとしても…

生命がつづいていくって信じてみよう。

私が今までいちども信じたことがなかったその場所に、立ってみよう。

未知を生きる自由があるよ。