初!


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自宅で初キチュリー!

 

昨年、とある合宿で沖縄に行ったとき、お料理をつくってくださる方がいて、毎食が聖なる食事だった。

 

そのとき初めて食べたキチュリーがなんとも美味しくて。

 

レシピを見ながら…端折りもあるが由としよう。

 

今日は辛味大根と里芋で。

ムーングって幸せな味だ。

 

美味しくいただきました。

 

ごちそうさまでした。

 

感謝。

 

太陽 (3)

誰かのためになりたいとか、役に立ちたいという気持ちが、私自身は正直よくわからない。

(そうした気持ちを多くの人が持つらしいことは知っているけれど)

 

ただ目の前に全身全霊を傾ける場面や対象があることが、現実をつくっていく。

心を込める対象があることは、本当に有難い。

いわゆる企業内価値としては評価されても、心を込めることができないことをやり続けるのはほんとにしんどいし、自分の生命への裏切りだと感じてきたから、有難さが身にしみる。

 

この4年くらいをかけて、やっと全身全霊を傾けることのできる場面を見定めつつある。ひとつではないけれど、奇しくも大きく言えば「白い風」の領域のことだ。

 

けれどこれを「白い風の人」としてやろうとするなら、私の魂は死んでしまう。私自身の中心を暖め、「黄色い太陽の人」として立つと肚を決める。「黄色い太陽の人」として、如何に「白い風」の仕事を為すか。

 

純化の道を辿らず、矛盾を包摂して矛盾を繋ごう。

 

そして苦しい局面こそ、黄色い太陽の人として、耐えよう。

 

追伸:

後で知ったが、今日は一年のなかで太陽が地球に最接近する日らしい。

太陽 (2)

ここ数年のなかで見えてきたパターンは、苦しい場面で「器用に社会に適応する人」になってしまう自分だ。少し言い方を変えると「確実に成果が出るとわかっていることに手を出し、収入と社会的信用をしのぐ」のだ。もうこの年まで社会人をやってきてるわけなので、とりあえずはどうにかなってしまう。

 

このパターンはなんとなくわかっていたのだが、「じゃあ、どうすりゃいいのよ?」が正直な心境だった。

わかっているつもりだけど、明快ではなかったのだ。それでも体験しているとつかめてくることがある。

 

その後の人生はこの苦しい局面に人としてどんな在り様であったかを基調に展開していく。その前段にどんな志や依って立つところがあったかは、まるでなかったかのように。

 

 

数日前気軽な気持ちでマヤ暦のバースデーシンボルを見てみた。

(まったく詳しくなく、ネットで拾った俄知識)

太陽の紋章(顕在意識):白い風

ウェイブスペル(潜在意識):黄色い太陽

銀河の音:3

 

大まかに内容を見てみると…

 

白い風の人は繊細でスピリチュアルな感性がある。傷つきやすくネガティブなエネルギーに弱い。自分の感動を他人に伝えたくて仕方ない。職業でいうと、セラピストや芸術家。

 

黄色い太陽の人は、人の言いなりになるのが嫌いで、人の前に立ち自分で責任をとることで力を発揮する。物質的にも精神的にも恵まれているので感謝が鍵になる。この恩恵を自分だけのために使うか、ひととわかち合うかで人生が大きく異なる。好き嫌いをせず、太陽のように誰とでも分け隔てなく接することが大事。

 

銀河の音3は広げる、繋ぐ人、メッセンジャー

 

(マヤは金星で見ているらしいので、占星術での獅子座金星のイメージとも重なる。銀河の音は水星なのかな?双子座水星なので)

 

そして第3チャクラを調和し元気にするポイントは、太陽なのだった。

 

太陽の紋章は5%の顕在意識で自分からも他人からも見えている、気づかれやすい自分、ウェイブスペルは95%の潜在意識らしいけど、私は黄色い太陽の自分をよく知っている。小学校の低学年頃までの私そのものなので。

 

けれどいま、太陽の在りかたで社会に立つのは、勇気の要ることだ。

太陽 (1)

年末からの不調が続いている。

 

からだのリズムからするとゆっくりゆったり過ごしたほうがよい日があるらしいとわかってきた。

その日に予定を詰め緊張が高まると、不調を招きやすい。

その日一日の過ごし方が中長期のリズムの鍵となるような、そんな日だ。

 

12/1はその日にあたるので、休日にしてセルフケアの予定を入れていたのだが、ある手違いから仕事が入ってしまった。そして見事にその日を境に体調を崩してしまった。

 

この一年、不調を感じてもその初期に体調を戻し体力の回復に手応えを感じてきたのだが…今回は戻らず以前長期に症状がでていた逆流性食道炎による喘息様の咳が止まらない。医者には滅多に行かないが薬を処方してもらう。第一選択の薬剤で強く効くー故に長期服用はできないーらしいのだが、あまり効きめを実感できない。薬への私の信頼が低いことも影響しているかもしれない。

 

疲れがたまっている自覚はあった。ただ心理的なダメージは受けにくくなっていると感じ、ひとからの相談を受けることを日常業務としながら、自分と外界との膜の薄さや繊細なところを忘れ無防備であった。強くなったと感じたのは揺らぎが少なくなったためだが、心の柔らかさが失われつつあったのだろう。憤りは静かに蓄積していた。

 

そして秋以降、自分のなかで大きな決断をしつつあったのだが、これがまったく決断できないでいた。正確には決断しても数日後には覆ることの繰り返し。まぁそれは決断していることにならないのだろうけど。

 

そんなわけだから、第3チャクラが弱っていても不思議はないのかもしれない。

魅せられる


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誰も読んでいないだろう、気安さから。

 

いちねん前、この地に越してから馴染みの八百屋ができた。八百屋といっても洗剤など暮らし周りの買い物もでき、長く有機ものを商う頼もしさ。

 

この店は知人のKさんから知った。昨日やっと店主にそのことを告げると

 

「それはまた毛色が違うというか…

Kさんは常識では計り知れない人だけど、(あなたは)極めて常識的な…」

 

「装ってるだけかもしれませんよ」

 

そう。私はとても常識的な人に見えるらしい。小さく劣等感が反応する。

 

 

『フロティアというのはね、二つの種類の人間を魅きつけるところなの。二種類の人間とは、実に魅力的な人々と、悪人たち……両方とも、生まれ育った世界に溶け込めず、何かから逃げてきた人間たちだからね』

(「星野道夫著作集5所収『ノーザンライツ』より)

 

魅力的な人間かはさておき、社会に溶け込む善人より、悪人にぐっと親近を覚える。同じ何かに魅せられている。

破綻

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ある一視角からのアイディアとして。

政策(なんらかの施策)が決定・実行されるとき、はっきりしている必要があること。
実行者と受給者、リソースを発する者と受ける者。わかりやすいリソースの一つが予算。
新たな政策の始動と同時に、巨大マーケットが出現することも稀ではなく(意図的なのだろう)。 

ここで志向されるのは「誰が何のために、なにを為したかを、明示する世界」。 

けれど、ふと気づく。
大きなシステムのなかで調和しながら事態が推移していくとき、「特定の誰かの業績・功績」を取り出すことなどできないし、ナンセンスだ(部分に意識的にフォーカスしない限り成立しない行為なのだ)。 

この明示性への力が働く中では、本質的に効くアプローチが発見されても、誰が何をしたかが曖昧で(従来の計算方式では)誰にどれだけ予算配分すればいいかが見えてこず、見過ごしにされる。
明示的に取り出し可能だということは、既に、大きな世界システムの流れを塞き止め切り離し、澱みとしてある。施策破綻は必然であり、明示性への志向が鮮明になるほど破綻は加速する。 

私の功績に固執せず(私の功績に見合う報酬に取り込まれず)、存在の個別性を打ち消すシステムに回収されず、多分に説明不能な調和のシステムに信を置く。

自己承認も他者への尊敬も小さな世界に貶める必要はない。
世界のカオスに開かれて在りたい。